海眼寺の境内にはたくさんの植物が植えられていますが、書院の奥には立派な庭園があります。

この庭園は昭和44年に森蘊(もり・おさむ)によって作庭されたものです。森の著書『庭ひとすじ』(昭和48年・学生社刊)に海眼寺の庭を作庭したときの様子が記されています。

森蘊は桂離宮や修学院離宮の研究で有名な庭園史研究の大家でしたが、その研究で得た知識をもとに、古い庭園の復元や作庭にも腕を振るいました。

そのころ海眼寺総代の吉田さんが森に海眼寺での作庭を依頼しました。しかし設計の段階で海眼寺の本堂がコンクリート製の現在のものに新築され、当初の作庭計画は大幅な変更を余儀なくされました。

ちょうどそのころ、森は大阪万博日本館内に作られる予定だった日本庭園の作庭も手がけていました。海眼寺の庭と日本館の庭はスペースもほぼ同じ、新築された本堂から庭を眺めた眺望も日本館のそれとほぼ同じだったため、森は「日本館で作る庭の試案として海眼寺の庭を作庭してはどうか」と考え、和尚に提案し、和尚もそれを快諾しました。

かくして海眼寺に大阪万博で展示された庭のプロトタイプ(原型)として、枯山水形式の歴史をてんこ盛りにしたいささか込み入った庭園が作られることになったのです。

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